2006-10-12 18:57:13

流学終了

カンボジア シアヌークビルにて。。。

初めてのダイビング。初日は海の中に潜るのが怖くってメンバーと一緒に潜れなかった。
明日もこのまま潜れなかったらどうしようって、不安だった。
2日目ドキドキしながら海に潜った。
落ち着いて見た海に中の世界は別世界だった。
この地球上にははるかに海の世界の方が陸地より大きいわけで、その海の中の世界を今までなんにも知らなかったんだなぁって思った。

ずっと海外へ出ることに憧れていた。
日本という一つの価値観で終わりたくなかったから。
人一倍怖がりだった私。精一杯の勇気を持って去年の春一人日本を飛び出した。
そこには別世界が待っていた。

ダイビングをしながら、そんな事を思い出した。

カンボジアの人が好き。
カンボジアの子供が好き。
この街が好き。
この海が好き。
カンボジア人や色んな国の人が集まる中で、違和感無く過ごせている今の自分が好き。

私と同じように旅中カンボジアに長期滞在していた友人は、
私の「このままカンボジアに残る」という報告を聞いて
「でも俺すっごいうれしいんだけど」と言った。
私が逆の立場でもきっとそう思う。
そう、カンボジアを好きな日本人が私は好きなんだ。

はまっちゃう時ってこんなもんなんだね。
ここいいると素直になれる、優しくなれる、強くなれる。
この街が好きだから、ここに住む。
たったそれだけの事を、真っ直ぐに言える今の自分が一番好き。

ずっと夢に描いていた世界に今足を踏み入れ始めた感覚。
人生ってさ自分次第で、自分の望む人生を手に入れられるんだね。
今それを少しずつ確信し始めている。

「今の自分が一番好き」
いつまでもそう言える人生を私は歩いていきたい。
しばらくはこのカンボジアで。

P、S
私の旅はまだまだ続きますが、この流学日記は終了させていただきます。
流学。 留学。
私の旅はカンボジアに留まったままでした。
流れるのがいいとか、留まるのがいいとか、そんなものに定義なんてなくって
どこにいようと自分の気持ち次第なんだなぁって、今振り返ってみてそう思います。
私はカンボジアにいながら、いつも必死で心の旅をしていました。
そう、どこにいても心の旅を続けていきたいと思っています。
このブログを書くと言う事で、いつも自分の気持ちと向き合う時間を作ることができたように思います。

7ヶ月間ありがとうございました。

Posted by : higashimoto

pagetop

2006-10-08 21:19:13

10月8日

泣くつもりなんかなかったのに、最後の日に涙が出てきたのは、
会えなくなるのが淋しいからとかではなくって、
ずっと見守っていくことができなかった自分の未熟さを思ったから。
目の前で泣き出す子供をみて、沢山の別れを経験している子供達に、また一つ自分が同じ思いをさせてしまったことが悔しかったから。
だけど、自分のその涙に何一つ変わっていない子供達への思いに気づくことができました。

最後の最後になって見てきた自分の思い。
私がこれから旅にでるのはカンボジアでの自分の為なんだって事。
今のままカンボジアに残るのは、まだまだ自分が未熟すぎた。
だから私の旅は今カンボジアから始まります。

こんなに大好きな国に出会えた私は幸せ者です。
カンボジアに来た当初、娯楽のないこの国にあきあきしていた。
今は娯楽がないと楽しむ事が出来なかった、あの頃の自分を今よりも不幸せに思います。

三度目のシアヌークビルでは、みんなが「おかえり」と待ていたように、誰も私を一人きりににさせません。
昨日の夜は満月の下、海のすぐ側で寝ました。
今も変わらず日ごとカンボジアに恋し続けています。

もうすぐ乾季をむかえるカンボジアのように
私の心にも晴れまがでてきました。

今なら大好きな言葉を胸にもって旅立てそうです。

-いい旅とは別れが辛い旅である。
しかしもっといい旅とは明日に希望をもてる旅である-

26歳と10ヶ月、まだまだ未完成。
10月16日ネパールへ飛び立ちます。



Posted by : higashimoto

pagetop

2006-10-04 17:08:35

on the beach


大好きな海に会いに行ったのは、元気になりたかったから、
そしてシェムリアップでの自分を少し離れた場所から見たかったから。

いつも私を真っ白に、そして強くしてくれる海に会って思ったのは
昔から海が好きで好きで、そこに理由は沢山あるんだけど、
理由なんて関係ないくらい大好きで、
そして今同じような思いでカンボジアを思ってるってことに少し気付いたり、

日本語を勉強している子が多いシェムリアップだけど、
場所が変わっても日本語を勉強する子達は存在して、
それが妙に嬉しく思っている自分がいて。。
少し前までは日本語を勉強する必要性がよく分からなくって、
日本語の前に英語を勉強するべきじゃないかなんて思ってる自分がいて
だけど必死に勉強する生徒達や、一生懸命悩みながら教える先生達の姿をみてるうちに
必要性なんか関係なくって、「話したい、知りたい、伝えたい、」その思いだけで十分だなって、
自分の母国語を必死で勉強してくれるって本当に嬉しい事だなって思えるようになった自分の変化に気付いたり、

ボランティアとか世界観とか、本を読みながら色々考える自分もいる反面、
欧米人の溜まり場になるような店で、お酒飲んでビリヤードしてチャラチャラ遊ぶ自分もいて
今そんな二つの自分を持っていることは、私にとって怖いことであって、だけどぬけきれなくって。。。
しっかり目標を持って旅していた頃の自分とは少し違ってきていて
目標を見失ってしまった、見えなくなってしまったから、こんな状態なんだろうなんて考えてみたり、



そんな時出逢った真夜中の静かな海と、半月とたまに雲に隠れてしまう沢山の星と2つの流れ星は
一生忘れられないと確信するほどの最高の景色で、何時間も見惚れてしまったわけだけど、
きっとそれは、隣にいつまでも傍にいてくれる暖かい手があったからで、
その手をいつまでも放すことができない自分がいて
寂しがり屋で弱い自分もちゃんと受け入れようって、手が必要な時は素直になろうって、そう思えた。


そんなまとまらない事をごじゃごじゃ考えている時にまるちゃんと再会して、
私とほぼ同期間旅をしているまるちゃんに私はとっても会いたかったわけで、
そのまるちゃんは私が見えてない自分の気持ちをズバズバと当ててくれて、私は感激してしまった。
日本で同じものに共感する友は、海外で会ってますます良いものだと実感。

「オレにとっての日本が、ともえちゃんにとってのカンボジアなんだよ」

ありがとう。


Posted by : higashimoto

pagetop

2006-09-20 17:16:22

飛べない鳥

とっても素敵な家族に出会いました。

母親と8人の兄弟、従兄弟も一緒に住む大家族。
21歳の彼は当たり前のように、母親や兄弟達とじゃれあう。
「私の家族はみんな優しいです。」
「母の料理が一番美味しいです。」
当たり前のように話す彼の言葉に、いつも私は何かを考えさせられた。

彼の妹と一緒に寝た夜は、夜中何度も私に抱きついてくる彼女に、
この家族は、子供の頃から何も変わらず、親や兄弟の愛を肌で感じながら生きているのだろうと思わせた。

ガイドになるために英語を勉強している彼は、英語学校の一年分の学費$145を
「兄が払ってくれた」と少し申し訳なさそうに話した。
「私の亡くなった父は私がガイドになることが夢でした。だから頑張ってガイドになりたい。」
父親の夢が自分の夢だなんて、すっごいよ。

私はいつも彼の家族を見ていて、私の両親が子供の頃苦労した話を思い出した。
「大変だったからこそ兄弟いつも助け合ったし、すごく仲が良かった。」そんな母親の言葉。
私の知らない、私の両親世代が生きた世界を彼は今生きているのかも知れない。

私はそこまで家族を思いやった事があっただろうか。
いつも自分のやりたい事が優先。お金を使うのも自分の為。
私が日本を出る直前に離婚した両親。
父親を一人にしていく事は心配だった。「男一人で淋しくないだろうか」
母親を一人にしていく事も心配だった。「女一人で生活していけるのかな」
そうは思いながらも、海外へ行く事に反対をしない両親の事を
「理解のある親で良かった」なんて思いながら日本を出てきた。

日本を出た事で完全に自立した気でいたけど、本当は今でも「理解ある親」に甘えているだけなのかもしれない。
本当に家族を思いやる気持ちがあったら、今私はここにいなかったと思う。

まだまだ日本へ戻る事は出来ないけれど、
母親の願い「どこにいてもハサミは置かない」
そればけは守りたいと思います。

心をこめて。。。 私に出逢ってくれて本当にありがとう
貴方達家族にいつまでも幸せが降り続くよう願ってます。
飛べない鳥のようになっていた私は、彼から翼をもらいました。

半年間のカンボジアでの生活で増えすぎてしまった荷物の整理をカレンダーとにらめっこしながら始めています。

Posted by : higashimoto

pagetop

2006-09-07 13:57:42

迷路

どちらかというと、何に対しても悩む事は少ない方だったと思う。
悩んでも起き上がるのも早くて、自分の事天然の能天気だと思ってた。
決断も早くて、思ったと同時に行動していた。

一ヶ月くらい前から変な迷路に迷い込んでしまった。
ぐるぐる回っていくら考えても、答えがでてこない。
答えが出そうになっても、またもとの位置に戻ってきてしまう。
迷路がどんどん深くなっていく。

こんな優柔不断な自分に会ったのは始めて。
旅にでてポジティブな自分にしか会った事がなかった。
ネガティブな自分の対処方法が分からない。

何に悩んでるのかさえ分からなくなってきた。
自分の心の声が聞こえない。

23歳の時、必死の思いで辞めた煙草。
二度と吸わないと決めていたのに、最近癖になってきてしまった。
お酒も飲んでも、寝れない事が多い。
昨日もほとんど寝れなかった。

困った、困った。
早くこの迷路から抜け出せますように。


Posted by : higashimoto

pagetop

2006-09-06 00:09:06

動く事と止まる事

昨日置き去りにされたままの沢山の戦車を見ました。
犬やねずみ、かえるや蛇の卵なんかも食べたけど、まだまだこの国の事何にも知らないなって感じます。
カンボジアで過ごした4ヶ月という期間は、旅中の滞在期間で考えれば長いけど、その国を知るには短すぎるように思います。

世界中の行きたい国を回ろうと思い日本を出てきた私。
沢山の価値観に触れてみたかった。

一ヵ月後のネパール行きのチケットと、多国籍ツアー(世界中から集まった仲間と旅をする)での20日間のトレッキングの参加。
すっごく悩んだけど、今も答えは100%じゃないけど、ツアーを終えたらカンボジアに戻ってくることになりそうです。

憧れのアメリカを知らないうちに長期滞在を決めてしまう事、旅を続けていたら待っているであろう出会いとチャンスには未練だらけだけど、、まだカンボジアを自分の中から切り離すことができなさそうです。

元々、カンボジアへの興味は薄くボランティアの話がなければ訪れることがなかった国だったと思う。
カンボジアに来た当初、娯楽のないこの国にあきあきしていた。
だけど、人の人懐っこさに驚いた。
子供達の明るい笑顔にも驚いた。
お金がなくても幸せだって、こういう事なんだってカンボジアの人達から教わった。

私は今までの人生の中の経験で、好きから始まってさめていくパターンしかなかったように思う。
だけどカンボジアはいればいるほど好きになる。知れば知るほどもっと知りたくなる。
だから戸惑ってしまうのかも知れない。

この国にきて変わったこと。
見返りを求めず人を思いやれるようになった。
少しだけど人に優しくなれたと思う。
改めて美容師の仕事が好きだって思った。
言葉が通じなくたって、人を幸せに出来ることに誇りに思った。

新しい感情を私に与えてくれたカンボジアの人達と気がすむまで関わってみたいと思います。
ここでもう少し生きてみようと思います。

NGO,日本語教師、美容師、観光業ならありふれてる。もしくは何者にもならない。。。

この先どうやってカンボジアの人達と関わっていきたいか、最近そんな事を考えています。

Posted by : higashimoto

pagetop

2006-08-28 12:26:21

こたえ



いつも悩んでいたのは、答えのない世界だから。
これが絶対に正しい。なんて思った事は一度もなかったけど、自分なりに精一杯向きあってきたつもり。

日本を押し付ける事はできなくて、カンボジアになりきる事もいけないような気がしていて。。。

マニュアルのない世界。
子育てもそうなのかな。
みんな一生懸命必死で考えて育てていくのかな。

カンボジアとどうやって関わっていけばいいのか、答えはまだでないけど、今までと逆さの視点で見てみようと思ったら、ほんの少し答えが見えたような気がした。

みんなありがとう。

Posted by : higashimoto

pagetop

2006-08-20 23:55:31

家族


カンボジアの人達は、本当に兄弟が多い。
7、8人の兄弟は普通みたい。
昔の日本と一緒なのかな。

うちの父親も兄弟が多くて8人兄弟。
「昔の人って兄弟多くて、やだなぁ。」なんて思ったり
TVの特集で大家族とかやってるの見ていて
「貧乏なんだから、そんなに生まなきゃいいのに」なんて思ってた。

だけどカンボジアの家庭を見ていてその中に触れてみると、とってもとっても温かった。
口では上手く言えないんだけど、平凡だけどとっても大きな幸せを感じた。

突然やってきた私に、ご飯をいっぱい食べろと勧めてくれる。
お母さんは、私の名前が呼びづらいと言ってあだ名を付ける。
小さい妹は、又絶対遊びに来てと抱きついてくる。

将来何人子供産めるかなぁ。なんて考えてしまった。
うん、兄弟は沢山いたほうが絶対に楽しいぞ。

うちの4人の家族は両親の離婚もあって、今は一人一人皆バラバラ。
だけど離れた事によって、当たり前のようにあった家族というものの大切さを感じたし、絆も深くなったようにも感じる。
たった一人の妹は、友達とはまた違う、とっても大切な存在であって、4歳の頃から私を知っている、大切な親友だって思っている。
東京のマンションで二人で朝まで飲み明かしてた頃が懐かしいな。。。。

ねぇ美香。お互い暖かい家庭をつくろうね。
前じゃ絶対考えられなかったのに、それが今の一番の夢になっちゃったよ。



Posted by : higashimoto

pagetop

2006-08-16 21:32:30

孤児院



孤児院って聞くと、みんな可哀相な子達ってイメージをもつと思う。
私も以前はそうだったわけだから。

4ヶ月間の中で一つ考えが変ったのは、孤児院の子供達を可哀相って思わなくなった事。
人間なんて皆人に話したくない事の一つや二つぐらい、どんな人だって抱えてるのではないかと思う。孤児院の子供に親がいないのも、それと変らないじゃんって思う。あえて、そこにスポットをあてなくてもいいんじゃないって思うようになった。

「人身売買にあった子供達」そう聞いて、深刻そうな顔をする日本人達に事実は知ってほしいと思うけど、子供達を哀れんではほしくないと思う。
その後の愛情のかけ次第でいくらでも変れるんだから。

みんな一緒だよ、なんにも変らないよ。
心からそう思うようになれた。

そう思えたのはきっとこの子供達がいつも明るい笑顔でいてくれたから。
笑顔って確実に伝染する。

私も回りの人に沢山の笑顔を伝染できる人になりたい。

どこに行くにも楽しいのは、みんなが一緒だから。

私がカンボジアを発つ日も2ヶ月をきってしまった。
最近みんなと別れることを考えてるだけで涙がとまらなくなってしまう。
どうしよう。こんなにみんなが大好きなのに、残された時間でもっともっと好きになっちゃうよ。


Posted by : higashimoto

pagetop

2006-08-09 22:51:01

変化


日本にいた時、きっと私はいつもどこか遠くを見てたよね。
いつも満足しきれない自分がいたような気がする。

最近思うのは、目の前の相手を幸せにできないんじゃ、世界中の誰も幸せにする事はできないって、そう思う。

一人一人が集まってこの世界は成り立ってる。
遠くの国で起こってる大きな事件を心配するより、目の前にいる一人の人を精一杯思いやる方が大切に思えてきた。
日本にいようが、カンボジアにいようが、アフリカにいようが、何処にいたって一緒なんじゃない?
ただ私は日本の国でその事に気づく事が出来なかっただけ。

何がそう思わせてくれたのか分からないけど、今すごくそう思います。



なぜ巡り会うのかを私達はなにも知らない
いつ巡り会うのかを私達はなにも知らない
どこにいたの?生きてきたの?
遠い空の下 二つの物語

会うべき人に出会える事を人は仕合せと呼びます

-糸-

新たに出合った日本の歌に感動する自分は、どこにいたってやっぱり日本人です。

目の前にいる人をどれだけ大切にできるかが、最近のテーマになってます。




Posted by : higashimoto

pagetop